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作品考察

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』——「悲劇の被害者」から「輝く隣人」へ、イメージの上書きという救済

2026.03.10 9 min read
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』——「悲劇の被害者」から「輝く隣人」へ、イメージの上書きという救済

むかしむかし、ハリウッドで。
9作目の監督が選んだのは、歴史の書き換えだった

1969年8月9日未明、ロサンゼルスの高級住宅街シエロ・ドライブで、妊娠8ヶ月半の女優シャロン・テートを含む5名が惨殺された。加害者はチャールズ・マンソン率いるカルト集団「マンソン・ファミリー」。事件は60年代の楽観主義に終止符を打ち、ハリウッドの無邪気な黄金時代を永遠に葬り去った。

それから50年。「10本撮ったら引退する」と公言してきたクエンティン・タランティーノは、9作目となる『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019)で、この凄惨な史実に正面から向き合い——そして、映画史上もっとも大胆な歴史改変を仕掛けた。

死んだはずの人を、死なせない。タランティーノが仕掛けた歴史改変の構造を読み解く。

シャロン・テート——「被害者」としてのみ記憶された女優

シャロン・テートという名前を聞いたとき、多くの人が最初に思い浮かべるのは凄惨な事件の記憶だろう。新進気鋭の女優であり、ロマン・ポランスキー監督の妻であった彼女は、事件後、半世紀にわたって「悲劇の被害者」という文脈でしか語られなくなった。

被害者は彼女だけではない。元恋人で有名ヘアスタイリストのジェイ・セブリング、コーヒー財閥令嬢のアビゲイル・フォルジャー、作家のヴォイチェフ・フリコフスキー、たまたま通りかかった若者スティーヴン・ペアレント。計5名の命が、筋違いの怨恨によって奪われた。マンソンは以前この邸宅に住んでいた音楽プロデューサー、テリー・メルチャーにレコードデビューを断られた逆恨みから、すでにメルチャーが引っ越した後のこの家を標的にしたのだ。

つまり、シャロン・テートたちは完全なる巻き添えだった。この理不尽さが、事件の悲劇性をいっそう深くしている。

事件が奪ったもの——女優シャロン・テートのキャリア

シャロン・テートは、単なる「監督の妻」ではなかった。1960年代後半、ハリウッドでもっとも将来を嘱望された若手女優の一人だった。

ゴールデングローブ候補と興行的成功

1967年公開の『哀愁の花びら』でジェニファー・ノース役を演じたテートは、ゴールデングローブ賞の新人女優賞にノミネートされた。同作は製作費470万ドルに対し、興行収入4,440万ドルを記録。20世紀フォックスにとってその年最大のヒット作となり、全米興行収入トップ10に入る成績を残している。批評家からはコメディとドラマの両面で好評を得ており、当時の映画評論ではマリリン・モンローと比較されることもあった。

ポランスキーとの出会い、そして結婚

同年、ホラー・コメディ『吸血鬼』の撮影現場でロマン・ポランスキー監督と出会い、1968年に結婚。ポランスキーは当初、赤毛の女優ジル・セント・ジョンを主演に望んでいたが、プロデューサーの推薦でテートと面会し、赤いウィッグを着用させる条件で起用を決めた。二人の運命的な出会いは、この撮影現場から始まっている。

1968年にはスパイ・コメディ『サイレンサー/破壊部隊』でディーン・マーティンと共演。彼女が演じたフレイヤ・カールソンというキャラクターは、後に『オースティン・パワーズ』シリーズのフェリシティ・シャグウェル役のモデルになったとされる。

26歳で命を奪われたテートには、輝かしいキャリアの入り口が開かれていた。事件は、その可能性のすべてを断ち切った。

タランティーノの9作目——「10本で引退」の文脈

タランティーノは長年、「監督作品は10本で終わりにする」と公言してきた。「たいていの監督は、ひどい遺作を残す。まともな作品で終われるのは稀で、良い作品で終われるのは奇跡に近い」という持論に基づく決断である。

彼は自身のフィルモグラフィにおいて、『キル・ビル Vol.1』と『Vol.2』を1本の作品としてカウントしている。この数え方に従えば、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は9作目——引退前の最後から2番目の作品にあたる。

製作費9,000万ドル。タランティーノ作品としては最大規模の予算が投じられた。宣伝費を含めると総額2億ドル近い大型プロジェクトであり、全世界興行収入は3億9,200万ドルを記録。公開初週末の興行収入4,100万ドルは、『イングロリアス・バスターズ』の3,800万ドルを超え、タランティーノ作品史上最高のオープニング成績となった。

キャリアの集大成に向かう監督が、なぜこの題材を選んだのか。その答えは、タランティーノ自身の言葉に示されている。

歴史改変の構造

タランティーノはこの映画で、架空の落ち目テレビ俳優リック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)と、彼のスタントマン兼付き人クリフ・ブース(ブラッド・ピット)を主人公に据えた。リックの家の隣に越してくるのが、ポランスキー監督とシャロン・テート夫妻である。

観客は史実を知っている。1969年8月9日の夜に何が起きるのかを。映画の時間軸がその日に近づくにつれ、避けられない悲劇への予感が画面を覆っていく。

しかし、タランティーノはその予感を裏切る。

クライマックスで、マンソン・ファミリーの襲撃犯たちはシャロンの邸宅ではなく、隣のリックの家に侵入してしまう。そこで待ち受けていたのは、歴戦のスタントマン・クリフと、火炎放射器を手にした俳優リック。襲撃犯たちは過剰なまでの暴力で返り討ちに遭い、惨劇は未然に防がれる。

シャロン・テートは死なない。

映画のラストシーン、騒ぎを聞きつけたシャロンがインターホン越しに無邪気に問いかける。その瞬間、彼女は「事件の被害者」ではなく「隣に住んでいる素敵な女優さん」として、スクリーンに刻み込まれた。

「復讐」ではなく「救済」——『イングロリアス・バスターズ』との違い

タランティーノの歴史改変は、本作が初めてではない。2009年の『イングロリアス・バスターズ』では、映画館に集まったヒトラーを含むナチス指導部を、ユダヤ人女性ショシャナと特殊部隊「バスターズ」が焼き尽くすという過激な歴史の書き換えを行っている。可燃性の映画フィルムを物理的な武器として使い、ナチスを炎で一掃する——虚構がファシズムに勝利するという直接的なメタファーだった。

だが、両作品の改変には決定的な違いがある。

『イングロリアス・バスターズ』は「怒り」と「復讐」の物語だ。歴史上の絶対悪を、架空のキャラクターの手によって打ち倒す。観客に与えるのは痛快なカタルシスである。

一方、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は構造が異なる。マンソン・ファミリーを返り討ちにするだけでなく、そもそもシャロン・テートに指一本触れさせない。復讐ではなく、被害そのものの回避。これが本作の設計思想だった。

映画館で笑うシャロン——なぜ『サイレンサー/破壊部隊』だったのか

この映画でもっとも印象的なシーンのひとつは、マーゴット・ロビー演じるシャロン・テートが映画館に入り、自分の出演作『サイレンサー/破壊部隊』を観客と一緒に楽しむ場面だ。スクリーンの中の自分にキックが決まると喜び、周囲の観客の反応に幸せそうに微笑む。

ここには事件の予兆も、ドラマチックな葛藤も存在しない。ただ、生き生きと人生を楽しんでいる一人の女性がそこにいるだけだ。

タランティーノが劇中で使用した『サイレンサー/破壊部隊』は、テートの遺作となったスパイ・コメディである。映画評論家レナード・マルティンは、この作品と『サンタモニカの週末』を彼女のベストパフォーマンスと評している。タランティーノはコメディエンヌとしてのテートの才能を示す作品を選ぶことで、「悲劇の被害者」ではなく「魅力的な女優」としての彼女を提示した。

タランティーノ自身、この描き方について明確な意図を語っている。

「彼女が殺人事件によって定義づけられているのは恐ろしいことだ。この映画を作ったことで、もはやそうではなくなったと絶対に誇りに思っている。彼女は被害者というステータスだけで定義されることはない」

タランティーノによれば、彼女について調べれば調べるほど、素晴らしい人物だったという証言ばかりが出てきたという。だからこそ、事件の被害者としてではなく、生き生きと人生を楽しんでいる姿を描きたかった——それが本作における彼女の描写の核心だった。

彼女の裸足で街を歩く姿もまた、史実に基づいている。生前のテートは公の場でも裸足で過ごす癖があり、靴着用のルールがあるレストランでは足首に輪ゴムを巻いてサンダルに見せかけていたという。タランティーノはこうした細部を丁寧に拾い上げることで、「被害者」ではなく「チャーミングな隣人」としてのシャロンを造形した。

虚実のコラージュ——史実に忠実な恐怖、史実を裏切る結末

この映画の巧みさは、結末以外の細部を徹底的に史実に寄せている点にある。

マンソン・ファミリーが根城にしていたスパーン牧場は、かつて西部劇の撮影に使われた実在の場所だ。80歳の盲目のオーナー、ジョージ・スパーンに女性メンバーが世話を焼く代わりに無償で住み着いていたこと。観光客向けに乗馬ツアーを提供して日銭を稼いでいたこと。すべて事実である。

事件当夜の描写も史実を忠実になぞる。テックス・ワトソンが放った「俺は悪魔だ。悪魔のなすべき行いを果たすために来た」というセリフは、実際に言われた言葉だ。史実では被害者のフリコフスキーに向けられたこの言葉を、映画ではクリフに向けさせている。襲撃メンバーの構成——テックス・ワトソン、スーザン・アトキンス、パトリシア・クレンウィンケル、見張り役のリンダ・カサビアンの4名——も史実通りだ。

現実をここまで精密に再現しておきながら、最後の最後で歴史を裏切る。だからこそ、その改変が途方もない重みを持つ。タランティーノは史実というリアリズムの土台の上に、虚構の結末を重ね合わせた。

「むかしむかし」——おとぎ話という宣言

映画のタイトルに注目したい。「Once Upon a Time」——「むかしむかし」。これは世界中の童話やおとぎ話の冒頭で使われる決まり文句だ。

タランティーノはタイトルの時点で、この映画がドキュメンタリーでも史実の再現でもないことを宣言している。「もしあの夜、惨劇が起きなかったら」「もしヒーローたちが間に合っていたら」——現実にはあり得ない願いを叶える現代のおとぎ話として、この作品は設計されている。

おとぎ話には、悪い魔女が滅ぼされ、囚われた姫が救われるという定型がある。マンソン・ファミリーという「悪」が返り討ちにされ、シャロンという「囚われた命」が救われる本作は、まさにその構造を踏襲している。ただし、この物語で姫を救ったのは王子ではなく、落ち目の俳優と無名のスタントマンだった。

イメージの上書き——現実を変えずに、記憶を変える

現実は変わらない。1969年8月9日にシャロン・テートが殺害されたという事実は、永遠に覆らない。

しかし、タランティーノはこう語った。

「この映画から彼女の雰囲気を感じ取った上で、(実際のマンソン事件の)特番を見たら、本当に胸が張り裂ける思いがするだろう。なぜなら、彼女は単なる(被害者の)統計としてではなく、観客にとって意味のある存在になったのだから」

この映画を観た後、「シャロン・テート」という名前を聞いたときに思い浮かべるイメージは変わりうる。凄惨なニュース写真ではなく、映画館で自分の出演作を観て笑うマーゴット・ロビーの姿が浮かぶ。街を裸足で歩く、あの自由で幸せそうな女性の姿が浮かぶ。

現実の出来事は1ミリも変わっていない。しかし、観客が彼女に抱くイメージは変わった。

タランティーノは『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』で、引退を見据えた9作目という節目に、歴史改変という手法をシャロン・テートのために用いた。凄惨な事件の被害者としてではなく、生き生きと笑う隣人として——彼女のイメージを上書きするために。