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『ジョーズ』が変えた夏と海——ブロックバスターの誕生と50年後の謝罪

1975年、全米のビーチから人が消えた。

スティーヴン・スピルバーグ監督の『ジョーズ』が公開されたその夏、海水浴場の入場者数は目に見えて減少した。スクリーンの中で暴れ回る巨大なホホジロザメが、現実の海への恐怖を植え付けたのだ。しかし、この映画が変えたのは人々の心理だけではない。『ジョーズ』は映画産業のビジネスモデルを根底から覆し、夏という季節の意味を永遠に書き換えた。そして同時に、海の生態系に取り返しのつかない傷を残した。

50年が経った今、この映画が残した功績と代償の両方を見つめ直す時期に来ている。

夏の再定義──閑散期から黄金期へ

1975年以前のハリウッドにおいて、夏は映画の墓場だった。

人々は海や山へ出かけ、屋外でのレジャーを楽しむ。わざわざ暗い映画館に足を運ぶ理由がない。だから夏は、ヒットが見込めない作品を消化するための捨てられる期間として扱われていた。大作映画の公開は、家族が集まるクリスマスシーズンが常識だった。

『ジョーズ』は、その常識を破壊した。

配給を担当したユニバーサル・ピクチャーズは、あえて夏休みシーズンである6月20日に本作を公開する決断を下した。海辺の恐怖を描いた映画を、人々が海に行く季節にぶつける。一見すると無謀に思えるこの戦略は、結果として映画史を塗り替えることになる。

ワイド・リリースという博打

当時の大作映画の公開方法はプラットフォーム・リリースと呼ばれるものだった。

まずニューヨークやロサンゼルスなど大都市の数館で先行上映を行い、批評家のレビューや観客の口コミを待つ。評判が広がったところで、数ヶ月かけてゆっくりと地方都市へフィルムを回していく。映画はじわじわ広がるものだった。

『ジョーズ』はこの慣習を無視した。

公開初週から北米464館という、当時としては前代未聞の規模で一斉公開を敢行したのだ。この手法はワイド・リリースと呼ばれる。批評家の評価を待つ必要はない。全国同時に公開することで、今すぐ観なければ話題に乗り遅れるという飢餓感を全米規模で生み出す。

これは本来、B級映画やエクスプロイテーション映画で使われていた手法だった。悪評が広まる前に荒稼ぎする、いわば逃げ切り型の戦略である。ユニバーサルは、この格下の戦略をメジャー大作に本格的に適用した最初のスタジオとなった。

テレビCMという空中戦

ワイド・リリースを成功させるためには、公開前に全国民の期待値を最大限まで高めておく必要がある。

ユニバーサルが選んだ武器は、テレビだった。

公開直前の数日間、主要テレビネットワークのゴールデンタイムに30秒のCMを大量投下。その広告費は約70万ドル。現在の価値に換算すれば数百万ドルに相当する、当時としては前例のない巨額投資だった。毎晩24〜32回のスポットCMが流され、海面下から女性を狙う巨大な顎のビジュアルが全米の家庭に届けられた。

推定2億人以上がこのCMを目にしたとされる。

結果は劇的だった。公開からわずか59日で興行収入1億ドルを突破。アメリカ映画史上初めて1億ドルの壁を破った作品となった。公開78日目には、それまでの最高記録だった『ゴッドファーザー』の8,600万ドルを抜き去り、北米興行収入の新記録を樹立する。最終的な全世界興行収入は4億7,200万ドル。1977年に『スター・ウォーズ』に抜かれるまで、『ジョーズ』は世界最高興行収入記録を保持し続けた。

ハイ・コンセプトの勝利──一文で売れる物語

『ジョーズ』の成功を語る上で欠かせないのが、ハイ・コンセプトという概念だ。

ハイ・コンセプトとは、一文で要約できるシンプルな物語を指す。『ジョーズ』の場合、それは「巨大な人食いザメがビーチを襲う」という一文に集約される。言語の壁を超え、ポスター1枚で内容が伝わる。この単純明快さが、大量のテレビCMや看板広告と完璧に噛み合った。

複雑な人間ドラマや社会派メッセージを前面に出す必要はない。怖いサメが来る──それだけで観客は劇場に押し寄せた。

このハイ・コンセプト戦略は、以降のハリウッド大作の標準となる。『エイリアン』(宇宙船で怪物に襲われる)、『ダイ・ハード』(ビルでテロリストと戦う)、『ジュラシック・パーク』(恐竜が暴れ出す)。現代のブロックバスター映画は、すべて『ジョーズ』が確立したこの方程式の上に成り立っている。

ビーチタオルから始まったマーチャンダイジング

映画公開に合わせて、ユニバーサルは多岐にわたる関連グッズを展開した。

Tシャツ、ビーチタオル、サメの歯のネックレス、水鉄砲。海面を泳ぐ女性を下から狙う巨大な顎という映画のポスタービジュアルは、あらゆる商品に転用された。原作小説のペーパーバック版も、映画のビジュアルに合わせて表紙がリデザインされ、相乗効果で売上を伸ばした。

映画館を出た後も、日常生活の中でジョーズというブランドに触れ続ける仕掛けが張り巡らされていた。

この手法は、2年後の『スター・ウォーズ』で爆発的に進化する。ジョージ・ルーカスは関連グッズの権利を確保し、映画本編の興行収入を上回る利益をマーチャンダイジングから得ることになる。その原型は、『ジョーズ』のビーチタオルにあった。

夏休み公開、全国一斉封切り、テレビCM攻勢、関連グッズ展開。『ジョーズ』が確立したこのパッケージは、50年後の今日に至るまで、ハリウッド映画が利益を最大化するための設計図として機能し続けている。

ジョーズ・エフェクト──スクリーンが生態系を破壊した日

『ジョーズ』は、サメという生物のイメージを永遠に変えてしまった。

映画の中のホホジロザメは、執拗に人間を追いかけ、知能を持って船を攻撃し、復讐心に燃えて特定の人物を狙い続ける。観客はスクリーン上の殺人マシンに恐怖し、その恐怖を現実のサメに投影した。

しかし、これは完全なフィクションだ。

実際のホホジロザメに、そのような習性は存在しない。サメが人を襲うケースの多くは誤認襲撃と呼ばれるものだ。サーフボードに乗って手足をパドリングする人間のシルエットを、海中から見上げたサメがアザラシと見間違える。噛みついてみて「これは獲物ではない」と気づき、すぐに離れていく。

サメは人間を食べたいわけではない。

世界中でサメによって命を落とす人は、年間平均5〜10人程度。蜂の刺傷や雷による死者数よりも少ない。だが、『ジョーズ』が植え付けた人食いモンスターのイメージは、この統計的事実を覆い隠してしまった。

トロフィー・ハンティングの狂乱

映画の大ヒットは、皮肉にもサメ狩りを全米でブームにした。

スポーツフィッシングやトロフィー・ハンティングの大会が急増。サメを殺して海を安全にする英雄になろうとする人々が、競って海に繰り出した。サメの顎を自宅に飾ることがステータスとなった。

その結果は壊滅的だった。

北米東海岸では、公開後の数年間で大型サメの個体数が50%減少。シュモクザメは89%、ホホジロザメは79%、イタチザメは65%も激減したというデータがある。シドニー大学のクリストファー・ネフ教授は、この現象をジョーズ・エフェクトと名付けた。

サメは意図的に人を襲う、サメの攻撃は常に致命的である、サメの脅威を防ぐには殺すしかない。映画が植え付けたこれら3つの誤解が、何万年も海の頂点に君臨してきた生物を絶滅の危機へと追い込んだ。

商業漁業という本当の脅威

公平を期すならば、サメの個体数減少の最大の要因は『ジョーズ』ではない。

1970年から2018年にかけて、外洋性のサメとエイの個体数は71%以上減少したと推定されている。しかし、スポーツフィッシングによる漁獲量は全世界の1%にも満たない。サメを真に絶滅の危機に追いやっているのは、フカヒレ目的の乱獲や、マグロ漁などでの混獲といった商業漁業だ。

とはいえ、『ジョーズ』がサメに対する社会的な敵意を正当化し、保護への関心を遅らせたことは否定できない。映画が作り出したモンスターのイメージは、サメを守ろうという声を数十年にわたって封じ込めてしまった。

制作者たちの贖罪──原作者の転身と監督の謝罪

原作小説『ジョーズ』を書いたピーター・ベンチリーは、映画の影響を目の当たりにして深く心を痛めた。

「実際の野生のサメの生態に関する知識を得た今の私であれば、あの本は絶対に書かない」──彼はそう語り、自らの原作を絶版にする決断を下した。サメは人間を狙ったりしないし、恨んだりもしない。映画が描いた復讐する殺人マシンは、完全なる虚構だった。

ベンチリーは人生の後半を海洋保護活動に捧げた。サメの実態を伝え、保護の必要性を訴え続けた。彼の功績を称え、現在では海洋保護に貢献した人物に贈られるピーター・ベンチリー賞が設立されている。海洋界のアカデミー賞とも称されるこの賞は、かつてサメをモンスターにしてしまった男が残した、もう一つの遺産だ。

スピルバーグの告白

監督であるスティーヴン・スピルバーグもまた、近年この問題に向き合っている。

2022年12月、イギリスBBCラジオの番組『Desert Island Discs』に出演した際、彼は率直に語った。

「あの本と映画のせいでサメの個体数が減ってしまったことを、今でも本当に、本当に心から後悔している」

さらに、もし無人島でサメに囲まれたらどう思うかという質問に対し、こう答えた。

「自分がサメに食べられてしまう恐怖よりも、映画公開以降に起こったクレイジーなスポーツフィッシャーマンたちの熱狂に対して、サメが私を怒っているのではないかと恐れている。本当に申し訳ないと思っている」

映画史上最も成功した監督の一人が、自らの代表作がもたらした負の影響について公に謝罪する。これは異例のことだ。しかしスピルバーグは、50年前の成功の代償から目を背けることを選ばなかった。

名作の責任

『ジョーズ』は、間違いなく映画史に残る傑作だ。

この作品がなければ、現代の観客が当たり前のように享受している夏休みの大作映画という文化は存在しなかった。ハリウッドのビジネスモデルは全く異なるものになっていただろう。スピルバーグという巨匠のキャリアも、ここから始まった。

しかし同時に、この映画は一つの生物種を絶滅の危機に追い込むきっかけを作った。フィクションが現実を侵食し、スクリーンの中の恐怖が海の生態系を破壊した。

傑作がもたらす影響は、作り手の意図を超えることがある。

ビジネスを革新し、文化を創造する一方で、意図せぬ破壊をもたらすこともある。『ジョーズ』を観るということは、エンターテインメントが持つ影響力の両面を引き受けることだ。

ベンチリーは海洋保護に人生を捧げ、スピルバーグは公の場で謝罪した。彼らの姿勢は、クリエイターが自らの作品に対して負う責任とは何かを問いかけている。

50年が経った今、『ジョーズ』の先に何を見るべきか。その答えは、次に海を訪れたとき、あるいは次にサメを見たときに、それぞれの心の中で見つけることになるだろう。