元祖炎上商法——P.T.バーナムと『グレイテスト・ショーマン』が描かなかった興行師の真実
悪名は無名に勝る。
元祖炎上商法の男
2017年公開の『グレイテスト・ショーマン』は、19世紀アメリカの興行師P.T.バーナムを夢追い人として描き、世界中で3億ドル以上の興行収入を記録した。ヒュー・ジャックマン演じるバーナムは、社会から疎外された人々に居場所を与え、家族を愛する理想的な人物として輝いている。しかし史実のバーナムは、自作自演の炎上、捏造展示、人間の商品化といった手法で注目を集め続けた。人々の関心そのものを通貨のように扱い、批判すらも換金する——現代のSNS時代を150年先取りした、冷徹な注目経済の体現者であった。
映画が意図的に省いた史実を辿り、興行師バーナムの実像を解剖する。「悪名は無名に勝る」の誕生——ジョイス・ヘス事件
P.T.バーナムの興行師としてのキャリアは、1835年のジョイス・ヘス事件から始まる。当時25歳のバーナムは、盲目で部分的に麻痺した高齢の黒人女性ジョイス・ヘスを購入し、「ジョージ・ワシントン大統領の乳母、161歳」という触れ込みで展示を開始した。
ヘスはニューヨークのニブロズ・ガーデンを皮切りに、北東部の酒場、宿屋、博物館、コンサートホールを巡業させられた。歴史家エリック・ロットの推計によれば、バーナムはこの展示で週1,500ドルを稼いだとされる。現在の貨幣価値に換算すると約47,000ドルに相当する金額である。彼女は1日10時間から12時間も働かされた。
注目すべきは、客足が落ち始めた時のバーナムの対応である。彼は匿名でボストンの新聞社に手紙を送り、「あの老婆は本物の人間ではない。鯨の骨とゴムで作られた精巧な自動人形だ」と主張した。真偽を確かめようとする野次馬が再び殺到し、入場者数は回復。この手法こそ、現代でいう自作自演の炎上商法の原型である。
1836年2月、ヘスは79歳から80歳で死亡した。バーナムの対応は徹底していた。彼は外科医デイヴィッド・L・ロジャースを雇い、ニューヨークのシティ・サルーンで公開解剖を実施。1,500人の観客が50セントの入場料を支払い、この解剖ショーを見物した。解剖の結果、161歳という主張が虚偽であることが明らかになると、バーナムは「解剖されたのは別人であり、本物のヘスは現在ヨーロッパを旅行中だ」という新たなデマを流し、新聞社同士を論争させて話題を引き延ばした。
ヘスは人間としてではなく、文字通り最後まで収益を生む展示物として扱われた。この事件は映画『グレイテスト・ショーマン』には一切登場しない。
ハミングという哲学——嘘を娯楽に変換する技術
バーナムは自らの欺瞞的な手法を「ハミング(Humbug)」と呼び、悪質な詐欺とは異なるものとして正当化した。ハミングとは、観客を傷つけることなく驚かせ、楽しませるための「茶目っ気のある騙し」であり、騙される側もそれを承知の上で楽しんでいる——というのがバーナムの主張であった。自らを「ペテン師のプリンス」と称することすらあったほどだ。
1841年、バーナムはニューヨークに「アメリカ博物館」を開設し、その目玉展示として「フィジー人魚」を公開した。これは猿の上半身と魚の下半身を縫い合わせた剥製であり、1810年頃に日本で製作された工芸品である。日本には古くから「人魚(にんぎょ)」の伝承があり、漁師たちが宗教儀式などのために猿と魚を組み合わせた造形物を作る伝統が存在した。この人魚は1822年にアメリカの船長サミュエル・バレット・エデスが日本の船員から6,000ドルで購入し、その後ボストンの博物館を経てバーナムの手に渡った。
バーナムは展示に先立ち、架空の人物「J・グリフィン博士」を仕立て上げた。実際にはバーナムの協力者レヴァイ・ライマンが演じたこの人物は、「英国自然史学会」の会員を名乗り、人魚の真正性を保証する専門家として新聞にコメントを寄せた。この偽装された権威付けにより、博物館の入場者数は3倍に跳ね上がる。そして客足が鈍ると、バーナムは再び匿名で「あれは偽物だ」と新聞に投書し、論争を煽った。
バーナムの博物館には、別の有名なエピソードが残されている。館内が混雑しすぎて客が滞留し始めた際、バーナムは「イグレス(Egress)はこちら」という看板を出口に設置した。イグレスとはラテン語で「出口」を意味する。客の多くはこれを珍しい動物の名前だと勘違いしてドアをくぐり、そのまま建物の外に放り出された。
好奇心の空白を設計する——ゲリラ・プロモーションの原理
バーナムの宣伝手法には一貫した原理がある。人は答えのない謎を放置できないという心理の利用である。彼は街路や駅、人々の日常の動線すべてを、好奇心を刺激する舞台装置に変えた。
ある日、博物館に失業中の男が仕事を求めてやってきた。バーナムは彼に5つのレンガを渡し、奇妙な指示を出した。博物館の周りの通りにレンガを一つずつ置いて回り、常に1つを手に持ち、置いたレンガと無言で交換し続けること。誰から何を話しかけられても絶対に答えないこと。そして1時間に1回、博物館の入り口に向かい、チケット売り場でお金を払うふりをして中に入り、裏口から出てまた同じことを繰り返すこと。
男がこの謎の行動を始めると、街ゆく人々は釘付けになった。あの男は一体何をしているのか。何百人もの野次馬が集まり、男が定期的に博物館の中に入っていくのを見た群衆は、彼についていけば謎の答えがわかると考え、次々とチケットを買って博物館になだれ込んだ。最終的に群衆が道路の交通を麻痺させ、警察から中止を求められるほどの成功を収めた。
このエピソードが示すのは、バーナムが情報の空白を意図的に設計していたという事実である。レンガの男は何も説明しない。説明しないからこそ、人々は自ら答えを求めて動く。広告とは「見せる」ことではなく「見たくさせる」ことだという原理を、バーナムは19世紀の路上で実証していた。
この原理は、より大きなスケールでも応用された。1883年、完成したばかりのブルックリン橋で「橋が崩落する」というパニックが起き、十数名が圧死する痛ましい事故が発生した。橋の安全性に世間の疑いの目が向けられる中、バーナムはこの不安を逆手に取る。翌1884年の夜、彼は大スターの巨大象「ジャンボ」を含む21頭の象と17頭のラクダを引き連れて、ブルックリン橋の上を大行進させた。
1頭あたり5トン近くある象の群れが渡っても橋はびくともしない。世間の不安は払拭され、橋の安全性が視覚的に証明された。そしてこの橋の上の巨大なパレードは、翌日の新聞の一面を飾り、彼のサーカスにとってこれ以上ないほどセンセーショナルな広告となった。レンガの男が路上で好奇心を煽ったように、象の行進は都市全体を舞台にして同じ原理を実行したのである。社会が抱える不安や疑問を見つけ出し、それに答えを提供する形で自らを売り込む。現代のコンテンツマーケティングが追求する手法を、バーナムは150年前にすでに体得していた。
イメージ洗浄の技術——ジェニー・リンド招聘の真意
1840年代後半、バーナムはペテン師、見せ物小屋の親父という悪評に悩まされていた。彼が選んだ解決策は、自身のイメージを根本から塗り替えることであった。その手段として白羽の矢を立てたのが、スウェーデンのオペラ歌手ジェニー・リンドである。
リンドは当時、ヨーロッパで「スウェーデンのナイチンゲール」と呼ばれ、その清廉潔白なイメージと卓越した歌唱力で絶大な人気を誇っていた。慈善活動にも熱心で、コンサートの収益を病院や学校に寄付することで知られていた。
1850年、バーナムはリンドと契約を結び、全米ツアーを企画した。注目すべきは、バーナムがこの時点でリンドの歌声を一度も聴いたことがなかったという事実である。彼が購入したのは歌唱力ではなく、リンドというブランドであった。バーナムはリンドがアメリカに到着する数ヶ月も前から大規模な広告キャンペーンを展開し、彼女を「天使のような声を持つ聖女」として神格化した。港に到着した際には4万人もの群衆が押し寄せ、「リンダマニア」と呼ばれる熱狂が全米を席巻した。
バーナムは最初のコンサートチケットをオークション形式で販売し、最高値は当時の価値で数百万円に達したとされる。また「ジェニー・リンド帽」「ジェニー・リンド手袋」「ジェニー・リンド・ピアノ」など、彼女の名前を冠した商品が大量に販売された。タレントの名前やイメージを商品に付与して販売するタレント・マーチャンダイジングの原型である。
しかしリンドは、バーナムの露骨な商業主義に次第に嫌気がさしていった。チケットのオークション販売に対する不快感を表明し、一定数のチケットを低価格で販売するよう求めた。1851年、150回のコンサート契約のうち93回を終えた時点で、リンドは契約解除条項を行使。バーナムに25,000ドルの違約金を支払い、友好的に袂を分かった。その後約1年間、リンドは自らマネジメントを行いながらツアーを継続した。
映画『グレイテスト・ショーマン』では、リンドがバーナムに恋愛感情を抱き、拒絶されて激昂しツアーを中断するという筋書きになっている。しかしこれは完全なフィクションである。実際のリンドとバーナムの間に恋愛関係は存在せず、決裂の原因はバーナムの過度な商業主義への嫌悪であった。
映画が描かなかったもの——美化された物語の裏側
『グレイテスト・ショーマン』は、バーナムを「居場所のない人々に家族を与えた多様性の先駆者」として描いている。髭の女性レティ・ルッツが「This Is Me」を歌い上げ、自らのアイデンティティを肯定するシーンは映画の白眉である。
しかし史実のバーナムは、身体的特徴を持つ人々を商品キャラクターとして徹底的にプロデュースした。レティのモデルとされるアニー・ジョーンズは生後9ヶ月でバーナムに雇われ、「幼いイエス・キリスト」などの奇抜な設定を次々と与えられながら展示された。小人症のチャールズ・ストラットンには「親指トム将軍」という名前とナポレオン風の衣装を与え、架空の武勇伝を捏造。実際には4歳か5歳だった彼を11歳の将軍として売り出した。
確かにバーナムは彼らに仕事と収入を提供した。親指トム将軍は後に莫大な資産を築き、バーナムが破産した際には資金援助を行ったほどである。当時の社会では、障害を持つ人々は家の中に隠されるか、路上で物乞いをするしかなかった。そのような時代背景において、バーナムが彼らにスターとしての地位を与え、週給150ドルから1,000ドルという破格の報酬を支払っていたという側面は否定できない。
だが、それは彼らが金になるからである。映画が描くような、純粋な善意や家族愛に基づく行動ではなかった。バーナムにとって彼らは、フィジー人魚やジョイス・ヘスと同様に、注目を集め収益を生む展示物であった。この本質的な違いを、映画は意図的に曖昧にしている。
映画に登場しないエピソードをもう一つ挙げる。バーナムはジョイス・ヘスが最初の大成功であったにもかかわらず、後年の自伝では彼女について詳しく触れることを避けた。奴隷制廃止運動が高まる中、奴隷女性を見せ物にした過去は、政治家・社会活動家としての自身のイメージにとって不都合だったからである。バーナムは晩年、コネチカット州議会議員やブリッジポート市長を務め、奴隷制反対を唱えた。これが真摯な改心によるものか、それとも時代の空気を読んだ新たなイメージ戦略であったのか——その判断は史料からは確定できない。
P.T.フリーという鏡——『バグズ・ライフ』が捉えた本質
1998年公開のピクサー映画『バグズ・ライフ』には、P.T.フリーという名のノミが登場する。サーカス団の団長を務めるこのキャラクターは、P.T.バーナムにちなんで名付けられた。
P.T.フリーは短気で強欲な興行師として描かれている。ショーがわずか2分で終わっても返金を拒否し、金のためなら自分自身が火だるまになることすら厭わない。団員たちを金のなる木として扱い、失敗すれば即座に解雇する。
興味深いのは、このコミカルに誇張されたキャラクターが、『グレイテスト・ショーマン』の美化されたバーナム像よりも、ある意味で史実に近いという点である。P.T.フリーには、バーナムが持っていた客が喜ぶなら何でもするというプロ根性と、金にならないなら価値がないという冷徹な商売人気質が、戯画化された形で凝縮されている。
声を担当したジョン・ラッツェンバーガーは、ピクサー作品の中でこの役が最も気に入っていると語っている。「怒りっぽいキャラクターは演じていて楽しい」というのがその理由だが、P.T.フリーの魅力は単なる怒りっぽさではなく、その剥き出しの強欲さにこそある。観客を愛しているのではなく、観客が払う金を愛している。この本質は、史実のバーナムにも通じるものがある。
「無関心」を最も恐れた男——セルフブランディングの先駆者
バーナムにとって、世間からの無関心はビジネスにおける死を意味していた。彼は次のような言葉を残している。
「宣伝をしなければ、ある恐ろしいことが起きる——何も起きないのだ」
彼にとって退屈であることは最大の罪であった。群衆の中で埋もれてしまうことを何よりも恐れた彼は、人々の関心を惹きつけ、自分自身を際立たせるために生涯を捧げた。
自分自身をブランドにする
バーナムはイーロン・マスクやリチャード・ブランソンといった現代の実業家が登場するずっと前に、パーソナリティ・マーケティングの基礎を築いた。企業ではなく個人のキャラクターを前面に押し出す手法である。彼は事業を展開する際、「バーナムのアメリカ博物館」や「P.T.バーナムのグランド移動博物館」など、必ず自分の名前を前面に押し出した。バーナムが提供するショーであれば必ず払った金額以上の価値がある——そうしたブランドの約束を確立したのである。
1854年に出版した自伝『P.T.バーナムの生涯』は、100万部以上を売り上げた。彼はこの自伝の中で、自分がこれまでに行ってきた数々のペテンの裏側をあえて包み隠さず告白し、自らを世界で最も巧妙で面白い男として演出した。さらに、この本をより多くの人に読ませるために意図的にパブリックドメイン(著作権フリー)にし、誰でも出版できるようにする。彼は改訂版を何度も出し、自らのセレブリティ像を生涯にわたってアップデートし続けた。
危機すらも自己演出の材料にする
バーナムのアメリカ博物館は1865年と1868年の二度にわたり、原因不明の大火事で全焼している。普通なら大損害に落ち込むところだが、彼は直後に新聞を利用し「必ず再建する」と宣言した。メディアはこのドラマチックな展開に飛びつき、彼の闘いをセンセーショナルに報じた。バーナムは被害者としてではなく、「灰の中から蘇る不屈のヒーロー」という物語へと積極的にすり替え、自分自身のブランド価値をさらに高めた。
彼のセルフブランディングへの並外れた執念を象徴するエピソードがある。バーナムは死の直前、「世間が自分の功績をどう評価し、どんな記事を書くのか読みたい」と考え、新聞社に頼み込んで自分が亡くなる前に死亡記事を掲載させ、それを自らの目で読んで楽しんだとされている。1891年、80歳で死去。最期まで自分がどう見られるかを管理しようとした男の、象徴的な幕引きであった。
バーナム効果——心理学に刻まれた名前
バーナムの名言として広く知られる「1分ごとにカモが生まれる(There’s a sucker born every minute)」は、実際には彼が発した言葉ではない可能性が高い。伝記作家アーサー・H・サクソンはこの言葉の出典を追跡したが、確認することができなかった。バーナムは顧客を見下すタイプの人間ではなく、むしろ彼らを深く理解しようとした。
現代の心理学には「バーナム効果」という用語が存在する。誰にでも当てはまる曖昧な性格診断を、自分だけに当てはまる正確な分析だと錯覚してしまう現象を指す。占いが当たっていると感じられるのは、この心理的バイアスによる。フィジー人魚を前にした観客も、レンガの男を追いかけた群衆も、ジョイス・ヘスの年齢を議論した新聞読者も、同じ心理に突き動かされていた。自分だけが真実を見抜けるという錯覚である。バーナムはこの人間心理を、学術用語が生まれる100年以上前から商売に応用していた。
自作自演で議論を煽り、注目を集める。真偽が曖昧な情報を流し、人々に本当かどうかを議論させる。批判すらも宣伝に変換し、悪名を認知度に転化する。現代のSNSでは、いいね、コメント、シェアといったユーザーの反応が多いコンテンツほどアルゴリズムに優遇され、より多くの人の目に触れる仕組みになっている。バーナムが19世紀に確立した手法は、この現代のシステムが推奨する戦略そのものである。
『グレイテスト・ショーマン』は興行的に大成功を収め、バーナムのイメージを夢を追う情熱的な男として世界中に刻印した。しかし史実のバーナムは、夢を追う男というよりも、人々が何に注目し、何に金を払うかを冷徹に分析し続けた男であった。彼は人間を愛したのではなく、人間が何に反応するかというデータだけを愛していたのかもしれない。
悪名は無名に勝る。150年以上が経過した今も、バーナムという名は注目を集め続けている。それこそが、彼の最大の勝利なのだろう。