第四の壁のその先——デッドプールは客席に、シー・ハルクは製作フロアに立った
『デッドプール』のウェイド・ウィルソンはカメラの外にいる観客に話しかけ、『シー・ハルク』のジェニファー・ウォルターズはカメラの内側にいる製作陣のオフィスへ実際に歩いて行った。
第四の壁を破る行為そのものは、両作に共通する手法だ。ライアン・レイノルズ主演の『デッドプール』(2016年)は批評家からも観客からも高い評価を受け、シリーズ化とMCU合流にまで至った。一方、ディズニープラスのドラマ『シー・ハルク:ザ・アトーニー』(2022年)は、最終話で同じ手法を採った直後に厳しい評価を受けた。
両者を分けたのは、壁を破った後にどちらの方向へ動いたかという一点だった。
ウェイドが立ち止まった場所と、ジェニファーが踏み込んだ場所の距離を測る。
本記事は『デッドプール』シリーズおよびドラマ『シー・ハルク:ザ・アトーニー』全9話の内容に触れる考察記事です。結末部分を含みます。
コミックが先に壊していた壁

ページを破る、という原作の作法
原作コミックの世界では、デッドプールもシー・ハルクも読者に向かって語りかけるだけでなく、コマ枠を突き破ったり、作者のオフィスに直接怒鳴り込んだりすることを日常的にやってのける。コミックはコマとコマの間の余白(ガター)を読者の想像力に委ねる記号的な表現形式であり、ページという物理的な境界を破る行為も、その記号の次元に収まる。読者は「これはページの上の出来事だ」という前提を保ったまま、キャラクターが紙面を破る様を受け入れる。
問題は、この作法が人間の俳優が実際の感情で演じる実写映画やドラマに移されたときに何が起こるかだ。紙の上では等価だった「読者に話しかける」ことと「作者の元へ乗り込む」ことは、実写では同じ強度で成立するとは限らない。デッドプールとシー・ハルクは、同じ原作の作法を引き継ぎながら、実写でこの二つの選択肢のうち別々の道を選んだ。
客席へ届いた声——デッドプールの選択

冒頭30秒の宣言
『デッドプール』(2016年)のオープニングクレジットには俳優名も監督名も出てこない。代わりに並ぶのは、主演を「神が作った完璧な馬鹿者」、ヒロインを「超セクシーな女性」、監督を「報酬過多のツール」と称する説明文だけだ。冒頭30秒で、この映画は自分がスーパーヒーロー映画であることを知っており、そのジャンルの慣習を笑い飛ばす姿勢を宣言している。
主人公のウェイド・ウィルソン(ライアン・レイノルズ)は劇中を通じて観客に直接語りかける。X-MENのメンバーが2人しか集まらなかったことを予算不足のせいにし、ライアン・レイノルズ自身の興行的失敗作『グリーン・ランタン』(2011年)をネタにする。しかし彼がどれだけスクリーンの外を意識していても、そこから実際に出てくることはない。発言の矛先は常に観客席——スクリーンの向こう側だけに向く。
二作品をまたいだ寸止め
『デッドプール2』(2018年)のポストクレジットシーンでは、タイムトラベルによって過去に遡り、ライアン・レイノルズが『グリーン・ランタン』の出演契約を結ぶ前の自分を暗殺する。ウェイドが過去の映画の現場に干渉する場面だが、これはあくまで虚構の内側で完結している。ウェイド・ウィルソンとライアン・レイノルズの境界を意図的に溶かしながらも、行為そのものはスクリーンの内側に留まる。
『デッドプール&ウルヴァリン』(2024年)でMCUに合流した後も、この距離は保たれた。ディズニーによる買収を知っていること、自分たちが映画のキャラクターだと知っていること——それを言葉にしながらも、物語の外には出ない。複数作をまたいでも越えない一線が、彼のメタ発言を消耗させずにいる。
製作フロアへ踏み込んだ足——シー・ハルクの選択

UIを破って辿り着いた部屋
ドラマ『シー・ハルク:ザ・アトーニー』(2022年)の最終話で、主人公のジェニファー・ウォルターズ(タティアナ・マスラニー)はディズニープラスのUIを文字通り突き破る。ストリーミングサービスのホーム画面が割れ、その向こうにマーベル・スタジオを思わせるオフィス空間が現れる。ウェイドが観客に話しかける先は常にスクリーンの外の座席だったが、ジェニファーが歩いて行った先は座席ではなく、制作サイドの部屋だった。
K.E.V.I.N.という名の交渉相手
その部屋でジェニファーが出会うのが、AI「K.E.V.I.N.」——Knowledge Enhanced Visual Interconnectivity Nexusの略で、常に野球帽を被っているその外見はマーベル・スタジオのケヴィン・ファイギ社長を模している。ジェニファーはK.E.V.I.N.と直接交渉し、自分のドラマの結末を書き直させることに成功する。デッドプールが観客の存在を認識するに留まったのに対し、ジェニファーは物語を生産する側の空間に踏み込み、気に入らない結末そのものを変更させた。
指パッチンの重みが揺らいだ瞬間

MCUは2008年の『アイアンマン』から積み上げてきた歴史を持つ。観客が最も強い感情を刻まれた出来事のひとつが、『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』(2018年)でサノスが放った指パッチンであり、続く『エンドゲーム』(2019年)でのトニー・スタークの自己犠牲、ナターシャ・ロマノフがヴォーミルで選んだ死だ。観客はこれらをフィクションだと知りながら、感情の事実として受け取ることに同意してきた。
ジェニファーがK.E.V.I.N.と話した部屋は、その同意の前提を揺るがす。物語内のキャラクターが制作AIに直談判して結末を変えられるなら、指パッチンもトニーの犠牲もナターシャの死も、等しくK.E.V.I.N.の設計図の産物だったことになる。この問いは遡及的に働く——サノスが指を鳴らした瞬間も、制作側が書いた一行だったと言えてしまうからだ。デッドプールの映画がこの問いを生まなかったのは、ウェイドが制作側の部屋を訪ねなかったからにほかならない。
9話の積み上げが着地しなかった場所

MCU全体の問いを持ち出すまでもなく、シー・ハルクの最終話はシーズン単体の文脈だけでも代償を払っている。全9話を通じて描かれてきたヴィラン集団インテリジェンシアの陰謀、ジェニファーの血液を狙う追跡、法廷弁護士としての積み上げ——これらはラスト数分のメタ展開によって未回収のまま脇に追いやられた。
デッドプールはメタ発言を重ねながらも、ヴァネッサとの関係という感情の核を一度も手放さなかった。ウェイドがどれだけ外側で騒いでも、物語の内側で起きていることには真剣に向き合う。第四の壁破りは物語を補強するために使われ、物語の代わりにはならなかった。
デッドプールが観客の方を向いて話し続けられるのは、話しかけた後に必ず戻ってくる場所——ヴァネッサとの関係、あるいは物語の内側の感情——を用意しているからだ。シー・ハルクの最終話には、K.E.V.I.N.の部屋を出た後に戻る場所がなかった。9話かけて積み上げてきた法廷劇も、血を追う陰謀も、置き去りにされたままだった。第四の壁を壊すこと自体に、選択の重さはない。壊した後に何を残すつもりだったか、その一点に重さは宿る。