映画『ジュラシック・ワールド/復活の大地』は26回失敗した実験体を『エレファント・マン』として演出した
ジュラシックシリーズが繰り返してきた問いは、人間の傲慢さがいつか何を生み出すかだった。今回の答えは、シリーズのどこにも先例がなかった。
コラムジュラシックシリーズ全作の死亡シーンを振り返ると演出の変化が見えてくる2025年公開の『ジュラシック・ワールド/復活の大地』が用意した主要な脅威は、ティラノサウルスをベースに改造された生き物でありながら、最強でも最速でもない。正式名称はDistortus rex——ラテン語で「歪んだ王」を意味する。InGenによる26回目の実験体であり、失敗の記録がそのまま名前になった生き物だ。監督のガレス・エドワーズは本作の制作過程で、このD-REXをデヴィッド・リンチの悲劇映画『エレファント・マン』(1980年)になぞらえてスタッフに説明している。
怪物映画の監督がなぜ悲劇映画を参照したのか。その選択の背景に、本作がシリーズに対して行った最も静かな更新がある。
強さを競り上げてきたシリーズの文法

T-Rexからインドミナスへ
ジュラシックシリーズは、登場する主要な脅威の規格を作品ごとに更新してきた。1993年の第一作においてT-Rexは自然界の頂点として描かれ、完全復元された恐竜という存在そのものへの畏怖が物語の中心にあった。スティーヴン・スピルバーグが確立したのは、恐竜を立ちはだかる自然の力として映像化する文法だった。T-Rexに勝てない理由は強さではなく、圧倒的な格差にある。
コラム映画『ジョーズ』は464館同時公開でブロックバスターを生み、サメの個体数を50%減らしたその均衡を崩したのが2001年の『ジュラシック・パーク3』だ。スピノサウルスが冒頭でT-Rexを圧倒し、より強い存在がいるという更新を提示した。2015年の『ジュラシック・ワールド』はその競り上げをさらに進め、複数種のDNAを掛け合わせたインドミナス・レックスを用意した。高い知性を持ち、赤外線センサーを欺き、カメレオンのように体温を変化させる。史上最高のテーマパークアトラクションを目指した改造が、想定を超えた危機を招く。設計思想は一貫して、より恐ろしい存在を作ることへの競り上げだった。
コラム映画『ジュラシック・パーク』は公開3年後、277回失敗した末に生まれたクローン羊と符合した逆転——失敗の堆積として現れた怪物
ジュラシックシリーズにおける傲慢さのテーマは、インドミナスで最も露骨な形をとった。傲慢さが産んだ怪物は、傲慢さの象徴にふさわしい強さを持っていなければならない——そういう前提がシリーズに積み重なっていた。
『復活の大地』はその前提を逆転させた。D-REXはティラノサウルスへの到達を目標に設定された改造実験が26回にわたって失敗した産物であり、26回にわたる失敗の積み重ねそのものが、この個体の存在様式だった。シリーズ史上初めて、より失敗した怪物が主要な脅威として据えられた、シリーズ史上初めての選択だった。
Distortusという名前が刻むもの

命名に刻まれた傲慢さの証拠
D-REXの正式名称はDistortus rex。「Distortus」はラテン語で「ねじれた」「歪んだ」を意味し、歪みそのものを名称として刻みつけた命名であり、失敗を糊塗する意図は感じられない。映画内で檻の部屋に記された「D-Rex V.23.111」というバージョン管理番号は、この実験体が26番目の改造試行であることを示す。
過去シリーズに登場したハイブリッドが力強さや驚異を連想させる名前を持っていたのと対照的に、Distortusの命名は異質だ。研究者たちは失敗と知りながら実験を継続し、その歪みを正式な名称として記録した。名前自体が、懲りない傲慢さの証拠になっている。インドミナス・レックスが力の誇示を名前に込めたのと正反対に、Distortusは失敗の事実を刻んでいる。
6本の四肢——失敗が体表に出た形
身体構造もその失敗を直接反映している。D-REXは全長約14メートル、全高約8メートル、体重約9トンという規格を持ちながら、四肢が6本存在する。大きな前腕2本に加えて胴体中部にさらに腕が2本——遺伝子操作の誤りが多肢症(余剰な四肢が生じる状態)として体表に現れた形だ。頭部はティラノサウルスの均整を欠いたまま成長しており、胚段階から正常な発育を辿れなかったことを外見が物語る。エドワーズは制作インタビューで「T-Rexを15まで上げようとして、こうなった」と表現している。
監督が参照した『エレファント・マン』の論理

ガレス・エドワーズは制作過程でアニメーターに対し、「デヴィッド・リンチの『エレファント・マン』を見直せ」と指示した。D-REXに演技をつける上での基準として提示したのは、この生き物はこうなることを選んでいない、という前提だ。
リンチの『エレファント・マン』(1980年)は、先天性の奇形により社会から疎外された男の生涯を描いた作品で、異形の存在を恐怖の対象ではなく悲劇の主人公として構成している。当時の観客はジョン・メリックを怖れながらも、その境遇に同情した。エドワーズがD-REXに求めた感情的反応はこれに準ずる——怖いとも思うが少し可哀想にも感じるという、相反する二つの感情を同時に成立させることが目標だった。インドミナスが純粋な脅威として描かれたのとは、根本的に異なる設計思想だ。
鳴き声に込められた哀愁
音響デザイナーのティム・ニールセンは、D-REXの鳴き声について「悲しく聞こえるようにしたかった。本来存在してはいけない生き物だから」と語っている。哀愁を音に乗せることを選んだニールセンの判断は、エドワーズの演出意図と一致している。怪物の鳴き声を悲しいものとして設計することは、それ自体が演出上の選択だ。
D-REXは視力がほぼ機能しない。光源と大きな音がない限り、至近距離の対象も認識できないほどの欠陥がある。映画内でD-REXが常に暗い環境に現れるという撮影上の選択は、この生物学的な欠落と対応していると読み解ける。暗さは雰囲気演出であると同時に、世界がほぼ見えていない生き物の状態を映像として体現する選択でもある。D-REXの登場シーンを見えにくいと感じる観客の経験は、D-REX自身が世界をそのように知覚していることとも重なる。
4本腕と捕食の変化
過去シリーズの捕食シーンは、強大な顎と速度に依拠してきた。D-REXはそこに手でつかんで口元まで運ぶという動作を加えた。大きな前腕2本で体重の大半を支えながら移動し、獲物をつかんで食べるパターンは類人猿や熊に近い。この捕食行動はシリーズ内で前例がなく、純粋な恐竜というよりもクリーチャーとしての側面が前面に出る結果になっている。エドワーズはビジュアルデザインの参照としてエイリアンのゼノモーフとスター・ウォーズのランコアを挙げており、どちらも有機的な異形を持つ存在だ。
ただし、登場シーンの多くが暗部での撮影となっており、4本腕の形状と動きが明確に映し出されるカットは少ない。視力の欠落という設定が撮影方針に影響しているとすれば、見えにくさにも設計上の必然性があることになる——視力を失った生き物を、同じように見えにくい光の中で撮るという選択として。
デルガド一家という配置——定番恐竜を引き受けた素人班

専門家なしで島を横断する4人
D-REXと並行して、本作はもうひとつ異質な配役上の選択をしている。本筋のゾーラ班——遺伝子採取を目的とした専門家チーム——とは別に、戦闘経験も恐竜知識も持たない一般市民の家族が、独立したサバイバルルートを走る作りになっている。
父ルーベン、長女テレサ、末娘イザベラ、テレサの恋人ザビエルの4人からなるデルガド一家は、モササウルスにヨットを転覆させられた後、スピノサウルス3頭のパックによる攻撃によりゾーラ班と完全に分断される。その後は専門家不在のまま島を横断する。序盤はこの設定が、誰が生き残るか読めない班としての緊張感を生んでいた。恐竜の知識も装備も持たない一般人が4人だけで動く班はシリーズ内でも前例が少なく、『ジュラシック・パーク3』のカービー夫妻のような素人キャラクターは常に専門家のグラント博士らと行動を共にしていた。今回は判断も移動もすべて自力だ。
分業の効果と緊張感の崩壊
この分業には脚本上の効果がある。ゾーラ班がD-REXやティタノサウルスといった本作初登場の恐竜を担当する一方、デルガド一家はティラノサウルスやヴェロキラプトルといったシリーズの定番恐竜を引き受ける。新顔と旧顔を一本の映画の中に同時に機能させるための設計だ。新顔はゾーラ班を通じて知的な驚きをもたらし、旧顔はデルガド一家を通じてシリーズへの既存の感情を呼び起こす。
ただし、緊張感の管理という点では途中から機能を失う。ザビエルがテレサを助けるために躊躇なく海に飛び込んだ場面を境に、彼が生き残るという確信が生まれ、残る3人も保護下に見え始める。サバイバル映画が緊張を持続させるためには誰もが死にうる状態の維持が必要だが、その前提がこの場面で崩れた。海外複数の批評メディアが「plot armor」——死なないことが透けて見える状態——という言葉で同様の問題を指摘しており、家族ドラマの掘り下げが浅く終わったことも合わせて批判されている。
傲慢さが辿り着いた先——凶器ではなく犠牲者

インドミナスが示した到達点
ジュラシックシリーズを通底するテーマは人間の傲慢さの帰結だった。インドミナス・レックスはその帰結が凶器の完成として現れた典型例だ。より強く、より驚異的な存在を作ろうとした意志が想定を超えた危機を招く——これがシリーズの典型的な答えだった。傲慢さは、最悪の武器を産んだ。
D-REXはその逆方向の帰結だ。ティラノサウルスをゴールに設定した実験が26回失敗しても継続されたという事実の方が、完成した生き物の能力よりも本作における傲慢さの本体に近い。最初の失敗で止まらなかったこと、2回目でも止まらなかったこと——その繰り返しが傲慢さの正体であり、D-REXという存在はその繰り返しの最終的な産物だ。生まれてきたのは、歪んだ名前を与えられた一体の被造物だった。
被造物の悲劇として設計された存在
監督の言葉を借りれば、こうなることを選んでいない存在。エレファント・マンを参照した演出、悲しく聞こえるよう設計された鳴き声、視力の欠落——これらはすべて、被造物の悲劇を作り込むための演出上の選択だ。音響デザイナーが悲しい音にしたかったと言ったとき、それはD-REXを弱くしようとしたのではなく、傲慢さの帰結を哀愁として聴かせようとしたことを意味する。
過去作の怪物は、人間の傲慢さが作り出した最悪の武器として恐怖を体現した。D-REXはその傲慢さが残した最悪の痕跡として、哀愁を体現する。シリーズが問い続けてきた傲慢さとは何を生むかという問いは今回、凶器を生んだ人間ではなく犠牲者を生んだ人間という形で着地している。
ジュラシック・ワールド/復活の大地
Jurassic World Rebirth
『ジュラシック・ワールド/新たなる支配者』から5年。かつて世界中に放たれた恐竜たちは、気候や環境に耐えられず数を減らし、今は赤道直下の限られた地域にだけ生息していた。秘密工作の専門家ゾーラ・ベネット(スカーレット・ヨハンソン)は、製薬会社の代表マーティン・クレブス(ルパート・フレンド)から、ある危険な任務を引き受ける。それは、人類を救う新薬を開発するため、陸・海・空の3大恐竜のDNAを採取するというものだった。チームとして集められたのは、ゾーラが最も信頼する傭兵ダンカン・キンケイド(マハーシャラ・アリ)と古生物学者ヘンリー・ルーミス博士(ジョナサン・ベイリー)。チーム一行は、かつてジュラシック・パークの極秘研究が行われていた“禁断の島”へとたどり着く。そこは陸・海・空のどこから恐竜が襲ってくるかわからない、地球上で最も危険な場所だった。そして彼らは、世界から長年のあいだ隠されてきた、衝撃的な秘密とも直面することになる──